変わる時代と、 変わらぬ想い。
大正3年の大浜湊駅(現 碧南駅)の開業に際して、「遠方よりお越しになる人が困らないように、また駅前が賑やかになるように」という想いで『大正旅館』を開業いたしました。 その後、料理店、菓子店、ビリヤード・卓球といった遊技場、寿司屋、和洋食堂、出張パーティ、結婚式場といったように、事業をその時代に合わせながら営業し、平成26年には創業100年となりました。 伊勢湾台風の際に仕込んでいた料理を近隣にふるまったという話や接待でよく来店された話、結婚式を挙げた話など、多くのエピソードをお客様からお聞きします。また戦後何もなかった時代に進駐軍から西洋料理を教わったこと、東京へ出張に行ったお客様から最新の料理事情を聞き、手さぐりで料理を作ってきたことなど先代から教えられました。このように地元大浜に支えていただいたおかげで100年も営業を続けることができました。
1914 | 大正3年 | 2月5日 三河鉄道開通 大浜湊駅(現 碧南駅)〜刈谷新駅(現 刈谷駅) |
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1916 | 大正5年 | 10月 大浜湊駅前に「大正旅館」を開業する。大浜湊駅や大正旅館は大正館初代である、杉浦ぬいの夫、仲次郎が大工として建てる。 |
1916 | 大正5年 | 大正館として料理店を兼業する。 |
1917 | 大正6年 | 大浜料理組合が豊川稲荷を勧請し、駅構内で祀るようになる。 |
1918 | 大正7年 | 杉浦武雄(二代目)、満州大連にある湊屋という菓子店へ修行に出る。 |
1922 | 大正11年 | 武雄が満州より大浜へ帰り、菓子店を兼業する。 |
1923 | 大正12年 | 武雄が西尾にある精養軒へ修行に出る。 |
1925 | 大正14年 | 兼業していた菓子店を廃業し、洋食の食堂を兼業する。 |
1926 | 大正15年 | 浜寺海水浴場に海の家を出店。創業当初はビリヤード場や酒場など事業を拡大していた借家を5軒建てる。 |
1934 | 昭和9年 | ビリヤード場を閉鎖し、卓球場に変える。 |
1942 | 昭和17年 | 外食券食堂の指定を受ける。 |
1944 | 昭和19年 | 和東南海地震で建物が半壊する。 |
1945 | 昭和20年 | 1月に三河地震で建物が全壊する。4月にはバラック小屋で商売を再開させる。 |
1948 | 昭和23年 | 食堂を拡張、一部二階建てにする。 |
1949 | 昭和24年 | 中二階のお座敷を作り、料理店の許可をもらう。 |
1951 | 昭和26年 | 平屋で30帖の広間と舞台のあるお座敷を作る。 |
1952 | 昭和27年 | 自宅の二階をお座敷に改築。 |
1954 | 昭和29年 | 旅館業の許可を得る。 |
1959 | 昭和34年 | 一階が大風呂で二階が座敷となる建物を増築。 |
1969 | 昭和44年 | 鉄筋三階建ての建物を建てる。一階に調理場、二階に小部屋三室、三階に会議室と小部屋二室。 |
1970 | 昭和45年 | 法人組織に変更し、株式会社となる。株式会社大正館 |
1979 | 昭和54年 | 文化会館のテナントで軽飲食を中心とした支店を出す。 |
1986 | 昭和61年 | 食堂を改築する。 |
2002 | 平成14年 | 文化会館店を分社化、独立させる。有限会社セカンドグロウ |
2014 | 平成26年 | 創業100周年を迎える。 |
2015 | 平成27年 | 11月9日に休業、店舗の建直しをする。 |
2016 | 平成28年 | 11月に新店舗完成。営業を再開する。 |
そして、再び生まれ変わる。
平成28年、老朽化していた建物を建て直し、新しく生まれ変わりました。少し奥まった場所にある店舗は創業当初の外観を現代風に直した構えで、街の景観になじみ、落ち着いた雰囲気がでるようにしています。吹き抜けの天井やテイストの異なる客間など趣向を凝らしており、新しく新鮮でもどこ懐かしい感覚のあるクラシックモダンな店舗となっています。また大正館がこれまで以上に地域に根差したお店となるように「大濱旬彩大正館」と名付けました。今後も100年前と同じ場所、同じ想いでおもてなしをして参ります。これからも、碧南駅前より大浜の旬を彩って参ります。